孤独の部屋 参03後編

 ところで、このルールを記すにあたって主に参考にしたのは、D. プリチャード (Pritchard) の『The Family Book of Games』とR. C. ベル (Bell) の『Board and Table Games from Many Civilizations』、『The Boardgame Book』である。プリチャードの本はきれいなのでとりあえずこれから見てしまうが、ファノロナのところに「かつて宮廷の儀式に使われた」とある。まあ、碁盤だって皇室の儀式に使われるのだからそんなこともあるかなと特に気にしなかった。 手軽に歴史とルールを確認できる『Board and Table Games from Many Civilizations』は座右の書で、念のためにルールを調べようとこれも見てみたら、神事に用いられたとある。とにかくルールを確認したかっただけなので、これも気にせず読んでいると、戦争中に女王と側近はプロにやらせたファノロナの勝敗を軍隊よりもあてにしていたといったことが書いてある。少し引っ掛かりを覚えつつ、結局、あまり気にしなかった。

 ルールをホームページで公開するのだから間違いがあってはいけないと、美しくて気に入っているが大きくてなかなか本棚から出せない『The Board Game Book』でさらに念をいれてみた。ルールはいいのだが、マダガスカルの女王・ラナバルナ3世の写真が出ており、フランスの植民地になるかならないかという独立をかけた戦いで、ファノロナの勝負をやらせ、それに従って軍隊を動かしていたと書いてある。ここにきて何となくよくわからずに引っ掛かっていたことが、にわかに具体性を帯び、ルールより気になりはじめた。この戦争は1895年である。19世紀終わりに本当にこのような戦術(?)で戦いをしたのだろうか。ベルは何に基づいてこれを書いたのだろうか。ただでさえ伝説が定説になりがちなゲーム史であるから、「孤独の部屋」に公開するためにもここははっきりしなくてはならない。

 マダガスカルの歴史はまったく知らなかったので、とりあえず歴史書にそのことが書いてあるのか調べてみることにした。さっそく本屋に行ったら、藤野幸雄『赤い島』(彩流社)というマダガスカル史の本をみつけ(というよりも、マダガスカル史はそれしかなかった)、買って読んでみた。
 知らない国の歴史は面白かった。とりわけ西欧文化をとりいれていく段階は日本の明治維新と似ている部分が多く考えさせられた。しかし、ファノロナの「ファ」の字もない。未開の迷信に満ちた国という印象を避けるために故意にそのエピソードを省いたのではという勘ぐりまでしてみたが、とにかくないものはない。

 クセジュに『マダガスカル』という1冊があるが品切れで本屋にない。この本を書いたデシャンという人は浩瀚なマダガスカル史をフランスで出版しているそうなので、私がよく利用している図書館でその本の検索してみたが、残念ながら収蔵していなかった。フランスのゲームの本ならかつての宗主国だし一言くらいはあるだろうと、うちにあるM. ブータン (Boutin) の『Le Livre des Jeux de pions』をめくってみれば、ほとんどルールだけしか書かれていない。ドライ・マギアが出していた『Das Spiele-Buch』もほぼ同じである。
 こうなるとベルが書いていることは歴史的事実よりもうわさ話に近いのではないかとさえ思えてきた。そもそも調べようにも歴史の本でファノロナに言及しているものがない。別の調べものを図書館でしていて、クセジュの原書の一画を通りかかったのでぱらぱらとそれらしき個所を斜め読みしたら、やっとファノロナについて記されている個所があったが、「マダガスカルではファノロナというゲームが遊ばれている」といった程度の記述である。しかし、クセジュというシリーズの性格上、言及しているだけでも私は心のうちで拍手を送った。

 さすがに八方ふさがりである。アメリカにファノロナ協会なるものがあり、そこでファノロナの歴史についてのパンフレットを出していたことまで突き止めたが、今活動しているのか、その本だかパンフレットだかよくわからないものが手に入るのかどうかも不明である。(ご存知の方、ここまできたら私はそれをどうしても読みたいのです、教えてください。)
 そんな次第で私は追及を半ばあきらめ、「まあ、いろいろ調べて退屈しなかったし、マダガスカルについて知ることもできたのでよかったか」と手を引くつもりだった。

 本の話ばかりで恐縮だが「孤独の部屋」の性格上しばらく我慢していただきたい。あるときまったく別のゲームを調べるためにD. パーレットの『The Oxford History of Board Games』を読んでいて、ふと忘れかけていたファノロナのことを思い出した。この本ではどう書かれているのだろうか。どうでもいいが、これだけのボードゲームの本をどうして読み分けているのかというと、まったく気分である。このパーレットの本はルールという点でも実用的だが、読み物として文章自体が面白いので気持ちと時間に余裕があるときにゆっくり読むことにしている。したがって久しぶりに本棚から引っ張り出してきたわけだが、ファノロナについてはだいたい今までの記述と同じだった。ただし、その話のソースとしてH. J. R. マレーの『A History of Board-Games Other Than Chess』が挙げられてた。
 ここで自分にあきれてしまったのは、この本はボードゲーム史の基本中の基本の本であって、うちの書棚にも架蔵しているのである。慌てて出してみたら該当個所に「Danielli夫人が私に話してくれたところによると」とあり、その後に例の戦争のときのエピソードが述べられている。つまりあの話はマレーの聞き書きであったわけだ。
 ばかばかしいがそもそも歴史書に記述されているにちがいないという先入観から、一生懸命そちらの本を調べてみたのが間違いで、ボードゲームの本をつぶさに読んでいれば30分程度で部屋からどこにも出かけずに、少なくとも話の出所ははっきりできたはずだった。この間、私が密かにファノロナのことで悩んでいることは誰も知らず、まったく孤独としかいいようがない。しかも、あっさり自己解決であった。いいわけすると、このマレーの本は同じ著者の『A History of Chess』なんかよりはるかに無味乾燥で読みにくい。そういうわけであまり引っ張り出すことがないのである。

 それで冒頭の話題に戻る。マレーの聞いた話が真実だとすれば、確かにまつりごとがゲームで占われていたという事実は近年まであったようだ。しかし、だからそのためにゲームが作られたというのはどうだろうか。ファノロナはアルケルクのボードを倍の大きさにして1680年頃に作られたそうである。当初から神事に使われたのか、それとも後年なのか特に記述は見当たらない。そんなわけで結局よくわからないことだらけである。

 ついでに、関係ないけれど、マダガスカルは文化的にみていろいろな要素が融合しているらしい。理屈はともかく、そのことは音楽を聴いてみればよくわかる。ルーツ・ミュージックが好きな人ならばマダガスカルの音楽はちょっとお勧めしたい。RossyだとかJustin Vali Trioなんかはのりがよくて、こだわりがなくとも誰でも楽しめると思う。是非、どうぞ。 (完)

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