「アレックスは今、日本に住んでいて、新しいゲームの開発に携わっている。そのうち一つは間もなく日本の市場に出回ることになっている。それから、彼は、魅力的な日本版のチェスであるショウギに関する本の執筆にもとりかかっている。」(S. Sackson, A Gamut of Games)


 忙しさにかまけて前回から随分と間が空いてしまった。といいながら、申し訳ないが、少しばかり前回の補足をさせていただく。「Epaminondas」と「LOA」は松田道弘『世界のゲーム事典』(東京堂出版)に紹介されていた。「LOA」は「Action Lines」として載っている。日本語で書かれたゲームの本ではたいへん充実した内容となっているのに、うっかり言及しなかったのですみません。ただ、現在、品切れのようである。東京堂出版は最近マジックの方に熱心だが、一段落したら『世界のゲーム事典』も増補してまた出してもらいたい。
 最近、C. ブラウン(Cameron Browne)『Connection Games』(AK Peters)という本が出て、なかなか楽しめた。タイトルの通り、アブストラクト・ゲームでも特に駒や経路の接続を目的としたゲームばかり集めた本となっている。限定的な狭い内容ではないかと危惧される人がいるかも知れないが、この手のゲームの多様さには驚かされるだろう。数学に関わるところを飛ばして読んでも、歴史やルール、ヴァリエーションの紹介が要領よくまとまっていて、しかも読んで楽しい。「LOA」のヴァリエーションのたくさんあることがわかる。しばらく枕頭の書として、寝る前に一ゲーム分を読むなんていうのもオツですよ。
 ついでに、2008年になってJ. ボタマンズ(Jack Botermans)が『The Book of Games』(Sterling)を出した。ボタマンズといえば、J. スローカム(Jerry Slocum)と一緒にパズルの本を書いていた人と同じ人だろう。(芦ヶ原伸之訳の一連の大型本は面白かった。)このゲームの本も値段の割には図版も多く、何せ大きい。巨大といってもいい本である。コタツに入ってぱらぱら見ているくらいだが、この種の本としては珍しく、ゲームの由来や歴史よりも戦術に多くページが割かれているようだ。一方であまり有名でないゲームも異国情緒あふれる風俗画などとともに紹介されている。実用書としては巨大すぎるし、参考文献表もなく、まあ、私の印象では中途半端な感が否めないものの、絵がきれいだから見ているだけで楽しめるだろう。どういう基準で収録するゲームを選んだのかよくわからないが、「Plank」があるのは意外な気がした。このゲームは前回紹介した『A Gamut of Games』に出てくるのである。というよりも、ほとんど『A Gamut of Games』でしか言及されていないのではないだろうか。
 さて『A Gamut of Games』に話が戻ったところで、今回の話題に入ろう。
 サクソンの本について述べたので、ゲーム・デザイナーが書いた本についてあれこれ孤独に書き綴ろうと思い立ち、そして思い立ったままずるずると時が過ぎてしまった。著書の数が多いのはD. パーレット(David Parlett)だろうが、この人はトランプを中心としたゲームについての研究や著述の方が本職で、ゲーム・デザインはむしろ余技に属するのではないかと思われる。前にも書いたが、私はパーレットの文章が好きなのでいずれ紹介したいが、今回はちょっと違うかなと取り上げるのはやめにした。R. クニツィア(Reiner Knizia)はカードの本やダイスの本もある。紹介するのにうってつけだが、実用書の要素が強くて、不必要な穿鑿を主眼とする「孤独の部屋」には相応しくない。(正直言うと、ダイスの本はたいへん重宝しているのだが、事典代わりに使っていてまだ通読してないのです。)E. ソロモン(Eric Solomon)の紙と鉛筆だけでできるゲームの本は傑作だし、ソロモンのゲームはまったく私好みだから是非紹介したいが、いつの日か紙と鉛筆で遊ぶゲームだけを「孤独の部屋」で紹介したいと思っているので、これも見送る。
 そんなこんなで自らの企画を自らがボツにしてしまうようなことになった。
 しかし、待てよ。ひとり本を書いていそうなデザイナーがいるではないか。A. ランドルフ(Alex Randolph)はどうだろう。ランドルフの本を私はもっていない。ネットで検索すればいいのだが、めんどくさい。果たして出しているのだろうか。どなたか詳しい方、教えて下さい。
 『A Gamut of Games』にはランドルフのゲームが一つ載っている。シド・サクソンによるランドルフの紹介によれば、(この本が出た当時、つまり1969年に)ランドルフは日本に住んでいて、将棋の本を書く予定だとある。ランドルフが将棋のために日本に滞在していたのはご存知の方も多いだろうが、彼が将棋の本を書いたのか私は知らない。
 実は、本ではないが、ランドルフが将棋について書いた文章はちゃんとある。あまり知られていないようだから今回はこれを紹介する。掲載されているのは、日本将棋連盟の機関誌「将棋世界」の1971年3月号である。写真の通り、見開き2ページの短いものだが、連載の第1回のような体裁となっている。これも謎だが、その後、この文章の続きが掲載された様子はない。「将棋世界」のすべてを閲したわけではないので断定できないとはいえ、ランドルフの文章が掲載されているのはこの号だけではないだろうか。

 内容は将棋の起源についてである。ランドルフはタイのチェスであるマクルークと将棋の類似性に注目していたようで、中国のシャンチーや朝鮮半島のチャンギではなく、東南アジアのチェスが日本の将棋の起源ではないかと考えている。
 ゲームの歴史には多大な興味があるが、とにかく諸説紛々たるチェスの歴史に関して、とりわけ持ち駒の再使用などの点で個性的な日本の将棋の起源に関して、門外漢の私ごときに見解を述べるべき資格はないから、ランドルフの論考が正しいかどうかを論じることはできない。とはいえ、この短い論考を読んいで役に立ったことがあって、それは将棋のルールを人に教えるときである。
 ランドルフがマクルークを将棋の起源と考えた根拠の一つが、マクルークの象のコマの動きと将棋の銀将のコマの動きの類似性にある。銀将は、前、左右のナナメ前、そして左右のナナメ後ろにそれぞれ一マス分移動できる。つまり左右の真横と真後ろには移動できない。これはマクルークの象のコマの動きと同じで、ランドルフは、移動可能なマスが象の鼻と前足、後ろ足に合致していると考えている。したがって、このコマは文字通り象を模したもので、それと同じ動きを日本の将棋は取り入れたのだという議論である。
 将棋の初心者には金と銀のコマの動かし方は紛らわしいらしい。ランドルフの論証の是非はともかく、彼の説を読んでから教えるときに「銀は象の形で動くよ」ということにしている。するとなんとなく思い出しやすいようだ。
 チェス・将棋史のスケールの大きな話がこじんまりしたところに落ちついてしまったが、もし歴史や起源説の文脈でのランドルフの説の位置づけが知りたい方がおられるなら、増川宏一『将棋の起源』(平凡社ライブラリ)を是非一読下さい。

美化委員

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