ペギングの技をマスターするまで、あなたのゲームは凡庸という泥沼にどっぷりはまっていることだろう。」( D. Colvert, Play Winning Cribbage)


 思えば長い苦難の道のりだった。わたくしは歴史上の数多くの預言者たちと同じように、狭量な無理解と心ない冷笑、せいぜいよくて氷のごとき無視に取り巻かれてきたのである。いや、わたくしはそれに不平をいうまい。なぜなら真理の女神はわたくしをやさしく迎えいれてくれたのだから。
 わたくしはこの「孤独の部屋」の其の四において、レコード(CD)・ジャケットにゲームを探るという、例によって日本のアナログ・ゲーム界にさざ波ほどの反響すらもたらさなかった画期的かつ先駆的なアプローチを提唱した。かつて独りで奮闘していた「ゲーム川柳」企画のときと同じように、「孤独の部屋・其の四」は黙殺されるどころか周囲の身内からは「何いってんの。クダラナイ」という迫害的な視線さえ受けたのである。おお、安岡章太郎は、現在は情報ばかりで文学がないと述べておられるではないか。ボードゲームやカードゲームだって、情報ばかりで、趣味性が乏しくなっているのではないか。
 不平はいわないといっておきながら愚痴になってしまった。何はともあれ、写真を見て頂きたい。クリベッジ・ボードではないですか。実はこれは、デイヴ・ペグ(Dave Pegg)のCDのボックスセット「A Box of Pegg's 」であって、クリベッジ・ボードではない。


 「孤独の部屋・其の四」の最後でわたくしは、虫が知らせたのでもあろうか、Fairport Conventionの「Full House」を紹介した。デイヴ・ペグはこのときのフェアポートのベーシストである。フェアポートのベーシストといえば、アシュリー・ハッチングスを思い浮かべる人も多いだろうが、ペグも欠かせないベーシストである。Jethro Tullのベーシストといった方がピンとくる人がいるかも知れない。
 ちなみにわたくしはプログレが苦手なのでジェスロ・タルについてはほとんど何も知らないのだが、プログレ好きの知人に尋ねても、はかばかしい答えが返ってくることはない。つい先日、ギターとバックギャモンのために稲城会場に遊びにきてくれた先輩は、ほぼどのタイプの音楽にも造詣が深いので、あらためてきいてみたが「ジェスロはある意味で謎だよ。聴いている人があまりいない」とのことであった。
 ともあれペグはわたくしにとってはフェアポートのベーシストである。クリベッジのペグ(peg)とデイヴ・ペグのペグ(Pegg)というベタな洒落であるにせよ、非常に珍しいクリベッジ・ボード・デザインのボックスを、わたくしの好きなフェアポートのメンバーが出してくれたことはこの上ない喜びである。もし仮にあまり興味のない音楽だったとしてもこのデザインでジャケ買いしていたであろうことを思うと、音楽の内容までもがわたくしの愛好するものであったことは天の恵みとしかいいようがない。(このボックスセットは約8400円であった。)なおかつ「孤独の部屋・其の四」で紹介したジャケットにゆかりのある人物のものであることは奇跡に近いであろう。そして、このことは誰もが認めるであろう。
 つまり、かつてわたくしが主張したように、音楽とゲームは、ことほどさように関係があるのであって、これからもジャケットのうちにゲームを探るということは決して無意味ではないということが火を見るよりも明らかとなったのである。(あー、また、しばらく孤独だな、こりゃ。)

美化委員

前頁        次頁