それらの商店のうちでも、絵草紙屋−−これが最も東京の歳晩を彩るもので、東京に育った私たちに取っては生涯忘れ得ない思い出の一つである。」(岡本綺堂「旧東京の歳晩」)

 私事について書くことはできるだけ慎みたいが、「会場移転」などという表現ですでに当会のホームページ上で公になっていることだからお許し頂きたい。昨年(2005年)末に引越をした。結局、ほぼ一年、その準備に追われたかたちになった。ほんとうはもう少し早く移りたかったのだが、いろいろな事情が重なって年末となってしまった。いろいろと手伝ってくれた人たち、「手伝おうか」と声をかけてくれた人たちに感謝したい。ただでさえ慌ただしいなかだったので、気持ちだけでもしみじみ嬉しかった。そして、うちのようなウェブサイトでも見てくれる人がいるようでメールを貰ったりするが、その人たちにも更新が滞ったことを申しわけなく思う。これからもマイペースでいきますのでよろしくお願いします。

 それにしても、ゲームと引越。興味深いテーマである。
 これには「ゲームと収納」という重大で深遠な問題が隠されている。
 たしかに重大で深遠ではあるが、ボードゲームを趣味とするものにとってできるだけ触れたくない問題でもある。したがって触れないでおく。

 いずれにせよ、本とCDだけでも膨大な量であるのに加えて、ボードゲームやカードゲームがよく今までこの部屋に入っていたなというくらい出てきた。梱包するのも厄介だったので、近所に引越すのを幸い、ゲームは手で運ぶことにした。余裕の計画を立てていて、ジョン・レンボーンのギグなんかを見に行ったりしていたのだが、工期が遅れたためにその計画もまったくの水泡と帰してしまった。それに、うちには車がない。使わせてもらえる車があればお願いして運んでもらい、なんとか運び終わった次第で、その有難さはゲーマー冥利に尽きる(ゲーマー冥利か?)。特に家族にはずいぶん無理を言った。後始末は3月に入ってもまだ終わらないものの、やっと遅まきながら年始の挨拶と引越祝いに来てくれる友だちを受け容れられるようになった。

 そんなわけで、まだ片づいていない新居ということもあり、友だちよりも実家の家族が集まる機会の多かった年末年始で、それはそれでいろいろと思いを新たにすることになった。というのは、家族が集まって過ごすというのは久しぶりだったし、子どもの頃の正月を思い出したからである。つまり、その時分は年末年始というとなんとなく特別な感じがしたもので、それはハレとかいう言い方もあるのかもしれないけれども、もっと単純にいえば、公然と夜更かししてもいいとか普段やらないゲームを親族で遊ぶとか、過ごし方にかかわることであり、その感覚がむずむずとよみがえったわけである。

 慎みたいと言ったばかりの私事、というよりも、まったくの個人的な事情をこうなったら綴らせてもらうが、私がボードゲームなどを集めたり、やったりして喜んでいる原点は、この特別な感じにあるのではないかと思う。確かに、子どもの頃は将棋をよく指していて、じっくり手を読んだりする面白さがゲーム好きになった一要因ではあるにしても、非アブストラクト・ゲームの競りや交渉などを好んでやる理由とはちがう。普段の生活を忘れてみんなでワイワイやるのが楽しいのであって、その楽しさのルーツを探るとやっぱり夏休みや正月に家族や親戚とやったゲームがあるのだと、この引越を機に考えたりもしたのである。例えば、従兄弟が定番の「人生ゲーム」をもっていて、夏や正月に泊まりに行けばそれをやった。一時は、泊まりに行くことイコール「人生ゲーム」という図式も頭にあったくらいである。それに、うちでは、どういうわけかマージャンはやらずにトランプの「カナスタ」を父が好んでやったので、幼い頃から親しんでいる。中学生くらいになると、従兄弟とほぼ徹夜になることも多かった。その楽しさが忘れられないわけである。当会のダジャレ委員も、母親がブリッジをたしなんでいることなどがゲーム好きのルーツになっていると思う。

 この個人的な感想にどれだけ一般性があるのかわからないけれど、もし少しでも敷延できるとすると、いろいろな年代の家族が集まってゲームに興じるという楽しさを幼い頃に味わっていれば、当会でもやっているような類いのゲームに抵抗なく親しめるようになるのではないだろうか。私にとって、だから、この手のゲームはマニアだけのものではないし、なにしろ私自身がゲーム・マニアであるという自覚があまりないのである。(まあ、引越してあらためてゲームを積んでみたときに、マニアと言われても仕方がないなとは思ったが。)大人になってもそれなりに夢中になって楽しめるゲームがなければこれは懐かしい感覚で終わってしまうが、ドイツ・ゲームのように、あるいは多くのトランプ・ゲームのように年齢を超えて楽しめるものに出会えば、そのまま自然にゲームとともに生活できる人も多くなるはずだろう。

 この問題は当たり前のようでいてよく考えると、家族のあり方であるとか、仕事と家庭とか、大人になってからの友だち付き合いとか、日本の社会のことに広がるのでここでやめておく。

 こんなことを考えて荷物の整理をしているときに岡本綺堂の『綺堂むかし語り』が出てきて、忙しい正月にふさわしいなと読み直していたら、「旧東京の歳晩」のなかの絵草紙屋の話が面白かった。江戸でもやはり正月はゲームの季節ということらしく、いろいろな絵双六を絵草紙屋が売りだしたようだ。今でいえばいろいろなタイプの「人生ゲーム」といったところか。その他、歌留多や「十六むさし」も売ったということが書いてある。「十六むさし」は正月の風物詩でもあったということなのだろうか。

 そこで、個人的なことばかりでうんざりしている方もおられるだろうから、この「十六むさし」を簡単に紹介してお茶を濁しておく。(我が思い出の「カナスタ」を紹介してもいいが孤独とはいえないし、トランプは素晴らしいサイトがたくさんあるのでそれをご覧になるといい。)

 「十六むさし」は「八道行成(やさすかり)」ともいわれて、おそらく中国から伝わったゲームである、ということは少し調べればわかる。似たようなゲームはあちこちにあるらしく比べると楽しい。「十六むさし」のボードは下図である。真ん中の白いコマが大将、取り囲んでいる黒いコマが「むさし」、つまり武士である。例によって適当に描いたので、自作するときはもっと綺麗にしてみてください。ときどき骨董市や古本屋で、メンコみたいなコマに武者絵を描いた「十六むさし」を見かけることがある。

 ボードについては三角の部分の線が少ないものや逆にさらに線を加えたものもある。そしてルールにもいろいろある。共通しているのは、1. 白のプレーヤーも黒のプレーヤーも手番では自分の色のコマを線に沿ってひとつ隣の交点に移動させることができるということと、2. 三角の部分には大将しか入れないということ、それから、3. 大将だけが捕獲できる(捕獲能力をもつ)、ということである。捕獲の方法は二つヴァリエーションがある。ひとつめは、チェッカーのように大将が「むさし」コマをひとつ飛び越えて(そのさきの交点は空いている必要がある)捕獲するというものである。マレーの『A History of Board-Games Other than Chess』にはこれが日本式として紹介されている。もうひとつは、松田道弘『面白ゲーム実戦本』などに紹介されているが、ひとつ空の交点をはさんで並んでいる「むさし」の間に大将が割込むことで、両脇の二つの「むさし」を捕獲するというやり方である。

 大将はこうしてすべての「むさし」を(または動けなくしたり、閉じこめるのには足りない数まで)捕獲したら勝利、「むさし」は大将の動きをとれなくするか、あるいは三角部分に大将をとじ込めるかのどちらかに成功すれば勝ちである。

 中国から来たというのは似たようなゲームが中国にもあるからで、「十六人の兵士」とか「皇帝と反逆者」とか呼ばれているらしい。参考のために、ボードを挙げておく。ちょっと三角の部分の形が日本と違う。マレーの本によると、このゲームでは、兵士も捕獲ができる。その捕獲ははさみ将棋と同じである。皇帝を二つの兵士コマではさめばよい。皇帝はさっき説明したように割込み捕獲である。実はマレーの本には皇帝側の勝利条件が書いてないのだが、たぶん、はさむのに不十分な数まで減ったら皇帝の勝ちだろう。兵士の勝利は、動けなくする、閉じこめる、捕獲するのいずれかということになる。



 ちなみにこのゲームの製品版の写真を載せておく。ニュージーランド製である。ボードは「十六むさし」で付属のルールもマレーが日本式と書いたルールになっている。「アルケルク」だとか「きつねとガチョウ」だとかを思い出させるから、類似のゲームはたくさんあるだろう。どのルールを採用するかは好みだと思う。いろいろ試しているうちにランドルフの「バッファロー」みたいなゲームができるかもしれない。ちなみにマレーは、はさんで捕獲する方が、飛び越えて捕獲するよりも原始的だから古いだろうと記している。ほんとうですかね。

美化委員

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