ダイスきダイスの一人旅、これが男の手本引き」(小林旭「賭博唱歌」)
You're just not ready for me yet.」(映画『シンシナティ・キッド』より)

 近ごろ、本屋で落語の本が何種類も積んであったりするので、どういうわけだと思って知り合いに話を聞くとテレビの影響らしい。それほど大昔でもないが、柳家さん喬と柳家権太楼の二人会をやっていた頃はよく落語を聞きに行ったなあと思わず遠い目になった。なんだかあの当時は屈託していることが多くて、午後はずっと寄席にいるぞという決意で痛くなったおしりの位置をずらしつつずっと新宿の末広にいたりした。思いもかけず浅い時間に小さんが「浮世根問」をさらっとやってくれたり、誰かの代わりにトリにでて来た桂文朝が地味にけれん味もなく「笠碁」をたっぷりやってくれたりしたのが妙に記憶に残っている。でも最近は全然寄席に行かなくなった。
 考えると映画もコンサートもあまり行かない。コンサートは去年、ジョン・レンボーンに行ってたいへんよかったのでまたちょくちょく行きたいと思っているが、映画はそもそもあんまり観たいものがない。また古い話だが、三鷹オスカーがあった高校時代は、凝ったというほどではないけれど、そこそこ観に行った。安くて昔のをやっているところってあんまりなくなったなあ。今でもいい映画はあるんだろうが、値段が高いのが困る。昔の見たかった映画がすごく安くDVDで手に入るのだから映画館に行かなくなる。それでも映画館の大きなスクリーンでやってくれたらDVDとは別に観に行くんだけど…。ミニ・シアターで芸術映画もいいが、大スクリーンで『大脱走』や『真昼の決闘』だって観たい。こういう思いの人って結構いるのではないか。
 それで思い切って、新居には書庫とゲーム庫のとなりのスペースにささやかなホームシアターめいたものをつくった。それなりに大きなスクリーンで観るととたんに映画らしくなるので、ゲームをやらずに映画ばかり観ている。
 それにしても、あれこれゲームを知ってから映画を観るとまた興味深いものがある。あまり気がつかなかったが、実に多くの映画にカード・ゲームのシーンがある。たいていはブリッジで、字幕が間違っている作品もあった。ビッドに関する知識がないと「2スペード」を「スペードが2枚」と訳したりするのも無理はないと思う。意外にも、マルクス兄弟のパラマウント時代の作品に、ブリッジのいかさまをするギャグがいくつかあった。こんなのもゲームに関心がなかったら忘れてしまいそうだ。DVDでは観ていないが『ブリキの太鼓』はスカートだった。チェスで忘れられないのは、ベルイマンの『第七の封印』の印象的なシーンで、これは是非とももう一度見直したいねえ。
 ついこの前、アミーゴの「シンシナティ」という新作ゲームが来た(作者はシュタウペ)。カジノの雰囲気のある箱に収められていて、ダイス・ポーカーの応用といったゲームらしい。なかなかコンポーネントも凝っている。まだプレイしていないが、気になるのは題名だ。カードのポーカーでこそないが、これは映画の『シンシナティ・キッド』から来ているのだろう。いや小説の方かもしれない。しかし、やっぱりスティーブ・マックィーンの映画だと考えたい。『荒野の七人』や『大脱走』に比べればマックィーンの映画としては地味かもしれないが、たまたま『シンシナティ・キッド』をうちで喜んでみたばかりだったのだ。説明的だったり、メロドラマの要素が入ってしまっているのはアメリカ映画だから仕方がないが、ポーカーの勝負を題材にした映画ときたら黙って見過ごせるわけがない。プレイされているのは5カード・スタッドで、テキサス・ホールデムが主流の現在からは古いが、勝負の面白さは伝わってくる。ドロウ・ポーカーしか知らなかったとしたら、いくらマックィーンとはいえ、こんなに面白くは感じなかったかもしれない。ゲームに馴染んでいてよかった。それにしても、ラストは『幕末太陽伝』のフランキー堺みたいに、マックィーンに走り去ってもらいたかったなあ。
 小説の文庫は現在も手に入る。早速読んでみると、そもそも舞台が違った。映画ではニューオーリンズになっていて、冒頭のフューネラル・マーチは、ダーティ・ダズン・ブラス・バントみたいなブルースが好きな人にはたまらない。小説はセントルイスが舞台である。終わり方もだいぶ違うから、映画も小説もそれぞれ楽しめる。監督はノーマン・ジュイソン、でももともとはサム・ペキンパーがとるはずだったらしい。ペキンパーのは観てみたかったよね。
 マックィーンが、すごい貫禄のエドワード・G・ロビンスンに「君はうまい。うまいが私がいる限りナンバ−2だ」なんていわれるんだけど、当会では無敵の「八八」女王(すなわち、監視役)に自分がいわれたような気になった。ちくしょー。
 ポーカーがらみで珍品を紹介したい。私は恥ずかしながら小林旭のファンで、最近、とくにそれがはなはだしくなっている。理由は自分にもわからない。当然、DVD化されたものは買って観ているわけである。小林旭は渡り鳥シリーズが有名だが、その他にもいくつかシリーズがあって(もちろん日活時代のこと)、そのなかにギャンブラー・シリーズがある。前半はシリアスだったらしいが、終わりの方ではコメディ・アクションとなっている。ケーブル・テレビでたまにやることもあるようだ。私が生まれる前の映画でもあるし、全部観ていないので、ここのあたりのことは、奇蹟のような本『日活アクションの華麗な世界』(渡辺武信著)を読んでみてください。
 この終わりの方うち中平康が監督した二本、『黒い賭博師』と『黒い賭博師・悪魔の左手』がDVDになっている。『黒い賭博師』はいきなりコントラクト・ブリッジから始まり、いろいろな博打が出てくる。エイを闘わせる変な博打もあるけれど、こんなのは本当にあったのかな。
 『黒い賭博師・悪魔の左手』は、ギャンブルで世界を制覇しようというパンドラ王国が国立のギャンブル大学の卒業試験として、日本随一のギャンブラーである小林旭を倒そうとする(もちろんギャンブルで)という、こうやって要約していてもよくわからない筋で、都筑道夫の傑作『暗殺教程』のギャンブル版みたいな話になっている。関係ないが、なんとなく都筑道夫のある種の作風と日活アクション映画の一部の雰囲気は大変合っているような気がする。長谷部安春監督、小林旭主演の『俺にさわると危ないぜ』は、都筑道夫『三重露出』の小説中小説部分(つまりこの小説の中にはもう一つ小説が出てくるのです)の映画化で、鈴木清順風のところもいいが、実にこのインチキな小説中小説の雰囲気をとらえていて素晴らしい。カット割りも凝っていてもっと長谷部監督作品を観たくなった。
 例によって、話がずれそうなのでもとにもどす。『黒い賭博師・悪魔の左手』の最後の対決はポーカーで行われる。7カード・スタッドで、ブラフをかけられてすぐ顔に出たり、フォールドした後のカードを必要もないのに見せたりというところは愛嬌としても、ぎりぎり(ほんとにぎりぎり)カード・ゲームとしてのリアリティは保っている。筋が筋なだけだけに真剣にとりすぎてもいけないのかもしれないが、「えーっ」という展開を、さすが中平康、テンポよく進めていくし、落ちの付け方、タイトル・バックも洒落ていたりして、アキラ・ファンとして大満足だった。(少女時代のジュディ・オングも観られます。)
 調べてみると、この映画公開は『シンシナティ・キッド』と一年違いである。このポーカー・シーンは『シンシナティ・キッド』の影響を受けているのだろうか。ほら、こう考えるとどうでもいいことが気になってくるでしょう。
 『黒い賭博師』のオープニング曲はこれも珍品で、「自動車ショー歌」の替え歌「賭博唱歌」となっている。今までレコードなどになったことがなかったが、去年出た「マイトガイ・トラックス」という映画音源を集めたシリーズCDに収録された。冒頭に引用したのはそれである。歌詞カードがないから聞き取りだが、「ダイスき」が「大好き」というのはいいとしても、「ダイスの一人旅」というのは何かに掛かっているのかどうかよくわからない。「スイスの一人旅」の洒落なのかとも思ったけれど、聞き取りに間違いがあるかもしれない。なんせ「恋の山手線」では、田町と魂(タマチイ)を掛けたアキラだから何があるかわからない。
 結局、そんなことばかりでゲームを紹介しなかった。すみません。これが「孤独の部屋」です。

[追記]ゲーム名が映画からとられているのは多いのではないか。「ハリウッド」はともかくとして、「ボーナンザ」の拡張「ハイ・ボーン」のような露骨なダジャレもある(だいたい「ボーナンザ」シリーズは全部ダジャレだが)。それで、思いついた。コスモスの「ギガンテン」は『ジャイアンツ』からとられているのではないか。ということは、石油掘り当てるときにプレーヤーはジェームス・ディーンになっていたのだ!(誰か、「その通りっ」と言ってくれ。)いやあ、何か、あの長い映画を観たくなってきたな。DVDになっているかな。
 ボードゲームが映画になったのもあるよね。それほど好きではないが「ジュマンジ」とか。驚くべし、私は観ていないけれど、「クルー(クルード)」の映画化『殺人ゲームへの招待』なんてのがあるみたい。いや、こんな話は飲み屋でやるべきですね。

美化委員

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